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カテゴリ:わたしとか( 2405 )

そして思うこと

夫が亡くなり、半月たちました。
明日は三七日の法要があります。

たくさんの方が、お悔やみの言葉をかけてくださり
今は、やることがたくさんあって気が張っているだろうけど
またそのうちがっくりくるかも。。。元気出してね、と。
本当にありがたいです。
でも、私はすっかり通常バージョンに戻っています(笑)。

だって
いないものは、しかたないです。
最期の苦しみ方を見ていると
あのまま命を永らえても
どうしようもなかったです。
元気ならともかく。
夫自身もきっとそう思っていると思います。

病気になるまで夫は
体重が75キロくらいあり、
(身長167くらいで・・・)
いつもいつも「ダイエットしーや!」「食べてばっかりあかんやん!」
と、言っていました。
せめて70キロまで体重減らすようにと
いっしょにウォーキングもしたし
月末に体重測定して
罰金徴収したりしてました(笑)。

だけど、昨年末以来
一度として、胃腸の調子がすっきりしたことがなかった、と
夫がもらしていました。
ずっと食べられない状態が続いていました。
あんなに食べることが好きだったのに。
亡くなる数日前には
「ああ・・・ビールをごくごくっと飲めたらなあ」とも
言っていました。でもすぐに
「そんなことしたら、えらいことになるわな・・・」と
あきらめていました。
夫の祭壇にはもちろん、ビールと、いつも飲んでた発泡酒
そして、大好きだったあんこのお菓子を供えています。
食べられない、食べられないと言って
日に日にやせて、ガリガリになってしまった夫。
もっともっとおいしいものを食べさせてあげたかった。
そして、大好きだったゴルフに、もう一度行かせてあげたかった。
1回目の抗がん剤が終わったら、
休薬期間にはそろそろ暖かくなるから
一度行って来たら、と話していたのに。
休薬期間になってもちっとも体調戻らず
転移がわかって腹水がたまって
とてもゴルフどころじゃなかった・・・・。

その二つを思うと、
そのときだけは涙が止まりません。

もうでもどうしようもないのです。
夫も私も、余命がわずかであることはわかっていたので
思い残したことはないかという話もしましたが
食べることやゴルフはさておき
子どももそれぞれ結婚したし
孫が見られなかったのは残念だけど
それ以上はもう思い残すことはないって言ってました。
実は夫が生前別れの言葉を語る様子をスマホで自撮りしていて
迷いましたがそれをお通夜と告別式で
皆さんに見ていただきました。
夫が語った一部を紹介します。

・・・
正直、オリンピック、孫の顔が見たかったのが本音です。
しかし、私に与えられた67年が運命だったと受け入れるしかありません。
私は、良き家族、良き親戚、良き友達・仲間に恵まれ
幸せな人生だったと感謝しています。
・・・

亡くなる半月くらい前に撮影したともの思われます。

夫は私より12学年も年上ですから
先に夫が亡くなるのは当然だと思っていましたが
それが今年だったんですか
って感じですね。
でも、いつか送らなければならなかった人です。
まだ私が若くてなんでもしっかりできる状況だから
よかったんだと思っておきます。
私が死ぬときは、どうしてくれるんよ
と、生前に文句は言っておきましたが。

夫が入院しているときに
たまたま友人のお父様も入院されていて
余命1月くらい、ということでしたが
それから半月くらいで亡くなられたということを聞きました。
余命というのは
当然かもしれませんが
お医者さんは、長目に言わざるを得ないんだろうなと思います。
夫に転移・腹水が出たとき
余命3か月と言われましたが
私はとても無理だ、おそらく週単位で考えないと
いけないだろうなと思いました。
毎日見てたらわかるんですよね・・・・。

夫はこれ以上年をとらないから
誰の記憶の中にも、67歳でストップです。
ちょっとだけ、うらやましいですね!

私は、夫をときどき(!!!)思い出しながら
まだまだ長い自分の人生を楽しむことにします!
本当にありがとうございました。



by flowerprint | 2019-05-18 14:22 | わたしとか | Comments(0)
4月27日(土)いよいよ10連休が始まりました。
この日10時頃に、介護ベッドを引き取りに来られるので
それが済んでから病院に行くつもりでした。
しかし朝、夫から電話があり
「また血糖値が下がってしんどい」と。
ベッドのことは娘の旦那さんに頼んで急いで病院へ行きました。
飴をなめたみたいですが
血糖値が下がったせいなのか何なのか
かなりしんどそうな様子。
しかも肝臓にガンが転移しているので
黄だんが出て顔も白目もいっそう黄色くなっています。
そしてそのうち、また嘔吐し始めたのです。
あいかわらず、ほとんど何も飲食していないのに・・・。
そして自分から「オシッコの管を入れてもらおうかなあ」
と言うのです。
確かにポータブルトイレに何度か座りましたが
尿も出ないようすでした。
腹水も苦しそうだし、何をしててもしんどそうで見ていられず
先生が来られたときに相談しました。
さすがに夫のいるところでは話ができず
別のところで話をして
午後に、腹水を抜き、いよいよ鎮静剤を点滴してもらうことに。
鎮静剤を打つと、コミュニケーションが取れなくなるけど
それでいいのか、念を押されました。
たとえもう意思の疎通ができなくなっても
本人もぐっすり眠りたいと言い続けていたし
このまま意識があっても苦しいだけなので
鎮静剤を打ってもらうことに決めました。

そして、腹水を抜きながら
鎮静剤の点滴が始まり、夫は寝入りました。
その間にオシッコの管も入りました。
娘とその旦那さんにしばらく任せて
私は用事をするために外出したのですが・・・

2時間ほどしたら、娘からLINEが来て
「お父さんスマホさわってるで」
「野球の結果見始めたで」
「テレビ見始めた」
「看護師さんびっくりしてはるで」
と・・・・・。

普通の人ならコミュニケーション取れないくらい
眠りに引きずり込まれるらしいけど
夫は薬が効かない性質なのか
その後も1時間くらい寝ては覚醒し
身の置き所のないようなだるさなのでしょう
ごそごそ動いては、水分を欲しがったり
ベッドを起こして座りたがったりを繰り返しました。

4月28日(日)
それまであまり親戚にもおおげさに言わなかったのですが
もう先が見えている、と思い
夫のお姉さんに連絡しました。
そうしたらこの日は親戚が次々訪れ
継続して鎮静剤が点滴されているのに
夫は覚醒している時間が長く
けっこう会話もしていました。
でも私はそばで見ていて、よけい疲れて苦しくなるだろうに
人と会うのもほどほどにしないと・・・と
ハラハラしていました。
夜になり、鎮静剤を増量してもらいました。

4月29日(月)
この日も1時間寝ては1時間半起きている感じ。
でも、何か言っているけれど、何を言っているのか
ほとんどわからず、途方にくれました。
わからないけれど、尿管ではなく、普通にオシッコをしたそうだったのと
腹水のことをずっと気にしているようすでした。
明日の夜には主治医の先生が当直で来られるから
そのときに、また腹水抜いてもらおうな、
令和になるまで、がんばろうな、と励ましました。

4月30日(火)
日中は娘や息子といっしょにそばについていたのですが
夕方一度みんなを帰らせ
しばらく私ひとりになりました。
そうしたらまたいっそう様子が悪くなり
動けないのに、あっち向いたりこっち向いたり
鎮静剤を打ってなかったら、のた打ち回っていたでしょう。
何か訴えていますが、何なのかわからず
夫の思うことはしてやれなかったと思います。
だってわからないのです・・・・。
そのうち、横を向いた夫の顔を確認したら
どす黒い血が。
慌ててナースセンターへ飛んで行きました。
当直で来られた主治医もすぐに診てくださいましたが
鎮静剤は、すでに最大量を使っているとのこと。
しかしこのままでは、夫はとても眠れそうにないので
さらに増量してもらうことにしました。
この話をしているときに
病室では、夫がよほど苦しかったのでしょう
「おーい、おーい」と呻く声が聞こえていました。

血を吐いたことを知らせると
娘夫婦が慌ててやってきました。
夫は痰がのどに絡んで、呼吸しにくそうでしたが
鼻から酸素吸入したので、なんとか落ち着くかも
でも今夜から明日にかけて危ないと思い
その前に私は娘夫婦と交代し
いったん家に帰って入浴し、夜中に備えることにしました。
ここまできたら、なんとか令和まで生きていてほしいと思いました。
それはもしかすると夫にとって苦しいだけかもしれないけれど。

家に帰ってしばらくすると
娘からLINEで、「ずーっと血を吐いてる」と。
そのまま二人で見とく、という言葉に甘え
元号が令和に変わるころに、息子と病院へ行きました。
ちょうどそのとき、痰の吸引をしてもらっていて
それが苦しいのでしょう、
とても呻いていました。
だらだらと口や鼻から出てくる血を受けるために
横向きの顔の下には
紙おむつが敷かれていました。
吸引が終わったあともしばらく
「あー あー」と声を出して呻いていましたが
1時前に、呻き声が落ち着いてきたので
全員いったん家に帰ることにしました。
病院に泊まるには手続きがいるし
ずっと横についていてもどうしようもないからです。
でももちろんいざというときは
連絡があれば飛んでいくつもりでした。

家に帰って寝ましたが
3時頃に電話が鳴りました。
娘の旦那さんが、居間の電話の近くで
寝てくれていたので、すぐに出てくれて
血圧がかなり下がってきたという連絡を聞いてくれました。

夫は肩全体で息をしていました。
義母が亡くなるときには
下顎呼吸で、それもどんどん間隔が広がりましたが
夫は、顎より肩での息でした。
4時をまわってしばらくしたころ
主治医が病室に来られました。
心電図モニターをつけていたので
心電図がほぼ平らになったのでしょう。
それでも、夫はまだ途切れ途切れに息をしていました。
私はその顔の前で
「パパ、息は?息して!」と言うと
2~3回は息をしてくれましたが
とうとう呼び掛けても、何の反応もなくなりました。
ああ
夫は死んでしまったんだな、と思いました。
先生がすぐに死亡を確認するのかと思ったけど
ずっとそばで見ておられるだけなので
「・・・どうなんでしょう」と聞くと
「長男さんは、来られないんですか?」と。
「今は来ません」と言うと
夫の瞳孔を確認し「4時36分死亡確認です」と
おっしゃいました。
令和になって4時間と36分、夫はがんばりました。



by flowerprint | 2019-05-14 22:06 | わたしとか | Comments(0)
夫が亡くなったのは火曜日なので
本来なら二七日(ふたなのか)は来週火曜日なのですが
仕事の都合があるので
その前の週末にしています。
なので今日、二七日の法要のため
お寺から来ていただきました。
早いものですね・・・・。

4月6日に腹水を抜いてから
どんどん夫は衰弱していきました。
抜いた直後は少し楽そうですが
すぐに溜まるのです。
次は9日に診察予約をとってあったので
なんとかその日までは、と
家で過ごしていましたが
もうほとんど食べることができず
食べられてもおかゆを大匙2杯程度
あとは水分のみという感じで
このままいくと、餓死するのではと思いました。
9日の通院のときは私が連れて行きましたが
入院の用意を持って行きました。
もう、家に帰れないかもしれないと思うと
私は涙が止まりませんでした。
夫は仏壇に手を合わせていました。

診察と言ってももう特に何もなく
だるさを取るステロイド剤を追加してもらったのと
今後遠い滋賀医大まで通うのは大変なので
マキノ病院で経過を診てもらうための紹介書と
県立総合病院の緩和ケア外来への紹介書を
もらいました。
そしてその夕方市役所で、夫の介護認定の申請をしました。

翌10日、マキノ病院を受診し
今後の急変時対応をお願いするとともに
訪問看護をお願いすることにしました。
日中夫ひとりになることが不安でたまらなかったからです。
介護認定はすぐにはおりませんが
先にケアマネージャーさんを決め
一番必要な介護ベッドを手配してもらいました。
このころになると、やせてお尻の脂肪がなくなり
座っているのがつらく
コタツで横になっても骨がじかにあたって
痛いと言っていたからです。

12日くらいからまた腹水がたまって苦しいというので
13日にはマキノ病院で腹水を抜いてもらいつつ
点滴をしてもらいました。
その間に、介護ベッドが家に届きました。

15日には介護認定のための調査と
関係者による打ち合わせ会議をし、
16日からは毎日訪問看護に来てもらえることになりました。
私は少し気が楽になりましたが
状態は日に日に悪くなっていきました。
18日にはまた病院へ連れて行き
腹水を抜いてもらいました。
そして19日の夜中、
一度寝たはずの夫が、私が寝室に上がるときには
起きていて(夜にはまだ2階の寝室へ行くことができていた)
しんどそうだったので
下へおりて、もう一度痛み止め飲む?と言うと
そうしようと言うので
再度二人で下におり、痛み止めのロキソニンを飲ませて
しばらく居間の介護ベッドで休ませようとしたら
夫が嘔吐し始めたのです。
退院後吐き気はあっても嘔吐したことがなかったし
だいたい、ほとんど何も食べていないのに
なぜ嘔吐するのか。
その苦しそうな様子に、夜中でも電話してくださいと
言ってもらっていた訪問看護ステーションに
電話をしました。
様子を伝え、とりあえず朝まで様子を見てくださいということになりました。
嘔吐も治まったので、夫はそのまま介護ベッドで休むことにし
私は2階の寝室に戻りました。

朝になって夫のところへ行くと
ほとんど一睡もできなかったとのこと。
もう、入院するしかないかなあと夫も言うので
もう一度訪問看護に電話をし
入院させてもらえるよう、病院に伝えてもらうことにしました。
私はその日、自分の大腸ポリープを切除する予約をしていて
よほどキャンセルしようかと思いましたが
土曜日で娘がいたのと
夫自身が、絶対行くように、というので
心配でたまりませんでしたが
私は自分の病院へ行ったのです。

4月20日、入院。
個室がいいというので、ビジネスホテル並みの部屋に入りました。
浴室がついていたので21日にはシャワーで全身を洗いましたが
シャワーを浴びられたのは、それが最後でした。
シャワー浴びただけで、ものすごく疲れていました。

22日、県立総合病院の緩和ケア外来を
代理受診しました。
なんとか苦しまずに最後を過ごしたい、というのが
夫も私も共通の願いですが
希望してもすぐに入れるわけではないし
家から遠いうえ、緩和ケアとしては腹水は抜かない
ということでした。
夫は、腹水をとても辛いと思っていたので
それでは意味がないと思い
登録だけはしましたが、おそらく転院することはないだろうと思いました。

4月23日の私の日記
「今日はいっそうおとろえてた。ほとんど食べられんし、また腹水たまってきてるし。
 トイレ行くにも点滴スタンドにすがって・・・。
 やっぱり今月中は無理なのかも。栄養失調で死にそう。」

24日からおむつを使い始める。
25日、家の介護ベッドは返したらよいと言う。

26日、仕事中に夫から電話が入る。
低血糖になってしまい、しんどいと。
夫は膵臓を半分くらいとったので、インシュリンを打っていました。
それまで低血糖になることはなかったのですが
あまりにも食べられないので
低血糖にもなるでしょう・・・・。
すぐに点滴をしてもらい、夕方かけつけたときには
少しましになっていました。
翌日からいよいよ10連休なので
「明日からは、毎日来られるしな!」と励ましました。
それまでも、しゅっちゅう仕事を時間休をとって
行ったり来たりしていましたが
ようやく連休で、仕事に気兼ねすることなく
病院に行けます。
でもおそらくそれも長くは続かないだろうと思っていました。



by flowerprint | 2019-05-11 21:20 | わたしとか | Comments(0)
家の隣に借りている畑が
雑草でものすごいことになっています。
4月の初めに、夫と植えたじゃがいもが
いつのまにか、かなり葉が出ていました。
雑草の中に!
そのころ、夫は畑仕事をできるような体調ではなかったのですが
種イモは買ってあったし
その前の少し体調がよかったときに
畑を耕してあったので
「私が植えるし、指導だけして!」
と言って、ふたりで畑に出たのです。
あれがたしか4月6日頃だった・・・・。

昨日、ふと畑を見ると
3軒向こうのご主人が、
私たちが植えたじゃがいもの周辺の雑草を
取ってくださっているではないですか。
慌てて畑に飛んでいくと
「わしが、ちゃんと面倒みたる、と約束したんや」って。
涙がドーーーーーーー。
感謝しか、ありません。
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こんなにきれいにしてくださいました。
それと、ガンに効くにんじんジュースをいつも作っていたから
にんじんの種も蒔いたのですが
その芽が出てきてて
そこも、きれいにしてくださいました。
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にんじんが大きくなったら
ジュースにして、夫に供えます。

さて
3月の19日には、抗がん剤TS1の1クール目が
終わり、1週間の休薬期間に入りました。
少しは体調が回復するだろうと思ったけど
このあたりから、食後下腹が痛い、とよく言っていました。
消化器を切ったのだから
もっとゆっくり食べないと、と言って
そのように努力したら一時はましになったと
言っていましたが、
すでに転移や腹水が始まっていたのかもしれません。
夫がスマホに残したメモに
日記が書いてありました。
3月26日には
「腹具合の悪いのは慢性化しました。
何もしないでいるのも無駄なので
昨日から畑の草むしりなどをして
過ごすことにしました」
と書かれています。


by flowerprint | 2019-05-08 20:37 | わたしとか | Comments(0)

これまでのこと3

10連休も終わりですね。
明日から仕事という方が多いでしょう。
私はまだ忌引きが続きます。
連休の間は役所も銀行も休みだったので
明日からいろいろ手続きに行かねば・・・・
ああ

面倒くさい(笑)。

さて
2月26日の外来診察で、病理検査の結果を聞きました。
ハラハラして待っている私には娘からLINEが来ました。
結果
膵臓がんでリンパ節への転移が24か所あり。
24か所ですよ24か所!!
手術で見える範囲はすべて取ったという話でしたが
そんなにたくさんリンパ節にあったら
その先にも飛んでるに決まってるじゃないですか・・・・・・・・・・・・。

抗がん剤はTS1という、錠剤を勧められ
1週間後に返事をするということで帰ってきました。
夫は、抗がん剤治療をするつもりになっていましたし
その段階では転移しているかどうかはわからないので
抗がん剤に賭けてみようと。
翌週3月5日の診察後から始めることになります。
抗がん剤についてはネットでいろいろ調べましたが
TS1は点滴ではなく飲む薬で
副作用は若干少ないような気もしましたが
人によるようです。
夫は手術後で体力も落ちているし
体調もすぐれない日が多いから
副作用がきっとある、と思い
それなら抗がん剤を始めるまでに旅行に行こう、と
急に思い立って3月2日から3日にかけて
高野山に行くことにしました。

なぜ高野山かというと
おととし青森に行ったときに恐山に行き
日本3大霊場が恐山、比叡山、高野山だと知り
あと高野山行けば制覇やな~行きたいなあと話していたからです。

高野山旅行の話は、3月の記事をご覧ください。
今思えば、電車に3時間近く乗って
奥の院ではかなりの距離歩いて
まだ体力あったんだなあと思います。

そして3月5日の診察日には
私も同行しました。
夫の体力も考慮し、TS1は少なめの量で
2週間服用、1週間休薬で、半年ということになりました。
その日の夜から服用するようにということだったので
診察の帰りには、当分生ものを食べられないだろうということで
回転寿司に寄って帰りました。
以前のことを思えば、ずいぶん少ない量しか食べられませんでしたが。

TS1の副作用は、食欲不振、吐き気、倦怠感
といったあたりが、けっこう出ていました。
実際に吐くことはなかったけど
ますます食べられなくなっていました。
それでも服用1週間目には
ウォーキングに行ったり
夫の誕生日祝を家族でしたり、
楽しく過ごすことができる日もありました。
このあたりも3月に日記に少し書いています。

by flowerprint | 2019-05-06 22:17 | わたしとか | Comments(0)

これまでのこと2

今日はこどもの日。
お通夜からずっとよい天気が続いています。
お骨になって家に戻ってからも
何人もの方がお参りに来てくださっていて
感謝、感謝です。

さて、1月4日の手術のあとのことです。
事前に聞かされていたとおり
合併症である膵液漏れと、下痢は顕著でした。
膵液漏れについては、入院中はずっとドレーンから廃液していましたし
退院してからも1月近くは、短いドレーンを
入れたままでした。
それでも「退院までには2~3か月かかりますよ」と
言われていたわりに、2月5日には退院できました。
2月9日に娘の結婚式があるため
一時帰宅で出られますかねぇという話を
ずっとしていたので、主治医もそれならと
退院させてくださったのだと思います。

消化器官の大手術だったので
手術後は、食べられない状態がずっと続きました。
胃の下のほう、十二指腸全部、膵臓、胆のうを切ったと思います。
夫は病院の食事で出てくるおかゆが
あまりにも量が多く、見ただけで食欲がなくなる、と言い、
そのうち病院の食器を見ただけで嫌になるとまで言ってました。
退院した後は、病院に持っていっていたお箸を見ても
思い出して嫌なようすでした。

病院食はほとんど食べませんでしたが
自分の気に入るものは少しは食べられました。
退院後に食べていたのは
ご飯ならお茶碗に3分の1くらい、
味噌汁もそれくらい
おかずは、好きなものを2切れくらいだったかなあ。
何を作れば食べてくれるのか
私はいつも途方に暮れていました・・・。

2月9日の結婚式は
時間も長いし、夫の体力が持つのか心配でしたが
乾杯のシャンペンも1口2口飲めたし
あとの食事もまあまあ食べられました。
式、披露宴と長時間かかりましたが
途中で具合が悪くなることもなく
バージンロードを歩くこともでき
本当によかったです。

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退院後の通院は2月26日だったので
結婚式後は、今思えば一番体調が安定した時期でした。
膵液のガーゼを取り換え、
入浴時には、しっかりと防水テープを貼るくらいで
他にはさほど行動を制限することもありませんでした。
夫は自分で車を運転し
買い物に行くのが日課でした。
2月26日の通院日は、私はどうしても仕事の都合で同行できないので
代わりに娘に頼みましたが
間違いなく抗がん剤の話が出ると思うので、それをどうするか、
また退院の時には教えてもらえなかった、
切り取った部分の病理検査の結果も
教えてもらえるだろうし
心配でたまりませんでした。
抗がん剤のことは、即答せず、一度持ち帰って考えようということにしました。




by flowerprint | 2019-05-05 14:52 | わたしとか | Comments(0)
5月3日、無事夫の葬儀を終えました。
初七日の法要も終わり
息子、息子の妻、娘とその夫も
くたびれてバタンキュー状態です。

昨日の通夜、本日の告別式ともに
大変多くの方々に参列いただきました。
心から感謝いたします。
夫もどんなにか喜んでいることでしょう。

これまでの夫の闘病について
親族以外には、あまり詳しく話をしませんでしたが
記録の意味も込めて、お話させていただこうと思います。

昨年の12月17日のことです。
夕飯が、胃のあたりにつかえるみたいで
食べられない、と夫が初めて訴えました。
その翌日にマキノ病院に行き
その週に2回胃カメラ検査を受けました。
12月22日の検査で、
十二指腸にガンらしきものがあることがわかり
滋賀医大への紹介状をもらいました。
このときあたりから、流動食だけになりました。

すでに、ガンだろうということは言われましたので
年末年始を控え
1日でも早く手術をしてほしいと思い、
滋賀医大以外にも、もう1つ別の病院へも行きました。
診断はどちらの病院でも同じでした。
膵臓がん。

年明けに手術のための検査をするということで
予約をしましたが
12月26日に滋賀医大から電話があり
28日に入院、1月4日に手術をすることになりました。
入院後、夫は点滴と、口からは水分のみの摂取となり
病院で年末年始を迎えました。

1月4日の手術の日は
私の仕事は、仕事始めの式があったので
朝早くからの手術送り出しは
娘に頼み、手術が始まってから
病院にかけつけました。
手術は膵頭十二指腸切除という、大変大きな手術で
それも開腹してみないとわからない、
最悪は、患部をとれずにバイパス手術になるかもしれない
その際は昼過ぎに終わる、と聞いていました。
昼過ぎからはいつ終わるかと
娘と息子と、ハラハラして待ちました。

夕方になっても終わったと言われなかったので
予定どおり手術できたんだと
少しほっとしました。
午後8時くらいに
医師の説明があるので手術室の前へ
と言われて、しばらく待っていると
いきなり、切り取った患部を持った医師が出てきて
切った内臓を見せられた・・・・・・
よくわからなかったけど。
まるで焼肉のホルモンのような(パパごめん)。
取れるだけ取りましたということでした。

手術室から戻ってきた夫は
意識が戻り「寒い、寒い」と訴えていましたが
私たちはどうしようもないし
手術は成功したわけなので
夫は看護師さんにおまかせし
3人で食事をして帰りました。







by flowerprint | 2019-05-03 21:42 | わたしとか | Comments(0)

令和最初の日に

令和元年5月1日午前4時36分
夫が永眠しました。

令和になるまでは
死んだらあかんで
そう言っていた私の気持ちに
答えてくれたのかもしれません。

ものすごく苦しそうやったのに・・・
令和になって4時間以上
がんばってくれた。
ごめん
無理させたなあ・・・

パパありがとう。


by flowerprint | 2019-05-01 18:37 | わたしとか | Comments(0)

お酒飲みたい

10連休始まりましたね。
本当ならワクワクしてるところですが
今年は、全然だめですね。
まあそういう年もあります・・・・。

でも
お酒飲みたい。
ものすごく飲みたい。

最近は
いざ鎌倉 状態なので
まったく飲んでません。
そんなにガバガバ飲むわけじゃないですよ(笑)
ナイトキャップの1杯でいいのよ
でもそれが飲めないから、
ストレスなのだ。

by flowerprint | 2019-04-27 22:12 | わたしとか | Comments(0)

にににに二万円!

大腸にできたポリープを取りに行ってきました。
昨年の秋に、切ったほうがよいポリープが1個
あるのがわかり
まあ春にでも・・・って話だったので。

結果、1個だと思ったけど
もう1個あったそうで
2個切り取り~。
その後30分ほど点滴して帰りました。
お会計で
前の人(大腸検診)が5000円くらいだったので
1万円あれば足りるでしょう、と
万札出したら
「病理検査に出しますので 2万150円 です」って
おどろいたーーー。
持ってたからよかったけど
高い!

検査の結果を聞きに来なさいとも
言われませんでしたが・・・
悪かったら連絡くれるんかなあ。
怖いなぁ。

by flowerprint | 2019-04-20 21:24 | わたしとか | Comments(0)